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大阪高等裁判所 昭和57年(行コ)72号 判決

控訴人(原告) 小川小督 外四名

被控訴人(被告) 大阪法務局北出張所登記官

主文

本件控訴を棄却する。

控訴費用は控訴人らの負担とする。

事実

一  当事者の求めた裁判

1  控訴人ら

(一)  原判決を取り消す。

(二)  控訴人らの大阪法務局北出張所昭和五六年九月二一日受付第四六五一五号抵当権設定登記申請につき、被控訴人が同年一〇月六日付でした却下処分を取り消す。

(三)  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

との判決。

2  被控訴人

主文と同旨の判決。

二  当事者の主張

次に附加するほかは原判決事実摘示のとおり(ただし、同判決四枚目裏末行目の「登産」を「登記」と訂正する。)であるから、ここにこれを引用する。

1  控訴人らの主張

株式会社の監査等に関する商法の特例に関する法律(以下「商法特例法」という。)附則第二六条は、商法二三九条三項所定の代理権限を証する書面につき「委任状」に限ると明文で規定している。このように法律において「委任状」と明文で規定している場合は委任状を要するが、不動産登記法三五条一項五号は代理人の「権限ヲ証スル書面」とのみ規定しているにすぎないから、この場合に委任状を要するとすることは不当である。

その他の控訴人らの主張は、添付の控訴人第一準備書面及び同第四準備書面(いずれも写)に記載のとおりである。

2  被控訴人の主張は、添付の被控訴人第一準備書面(写)に記載のとおりである。

三  証拠関係〈省略〉

理由

当裁判所の認定、判断は、次に附加するほか、原判決理由に記載と同一である(ただし、同判決九枚目表四行目の「且」を「旦」と訂正する。)から、ここにこれを引用する。

控訴人らは、当審において不動産登記制度、登記申請の性質、態様及び本件証明書等に関し、るる陳述する。

ところで、不動産登記は、実体上の権利変動を正確かつ迅速に公示されることが要求されるとともに、現在においては大量に処理されなければならなのが実情(この点は弁論の全趣旨から明らかである。)である。そして、登記官による登記申請許否の審査は、いわゆる形式的審査であり、書面審査を原則とするものであるから、その申請書並びに添付書面は、内容が客観的に明確であり、形式的厳格性を要し、登記官の主観的判断を入れる余地の無いものが要求されるのは当然である。本件証明書が委任状に比較してその証明力が劣るものである所以は、引用にかかる原判決理由中に記載のとおりであり、本件証明書が代理権を証明する文書であるといえなくはないが、登記官において疑念を差し挾む余地が無いとはいえず(原判決理由二の5参照)、これに反し委任状であるならば、その書面が形式的に真正に成立していると認められる限りにおいては、疑念を入れる余地はなく、前記の登記申請関係書面に要求されるところと合致する。また、登記申請人において、本件証明書のような書面を作成することと、委任状を作成することとの間に、特段の差異、利不利があろうとは考えられず(強いていえば、委任状の場合は印紙のはり付けを要する点にあると思われるが、これは印紙税法上の問題であり、不動産登記法にとつては関係の無いところであるばかりか、さして高額なものとはいえない。)、容易に補正可能なものである。本件証明書が、不動産登記法三五条一項五号の書面にあたらないとした登記官の措置は不当とはいえない。

また、控訴人らは、委任状を要する場合は、商法特例法附則二六条のように、明文で委任状と規定されている場合に限ると主張するが、不動産登記法三五条一項五号の代理人の権限を証する書面が委任状に限られるものでないことは前説示のとおりであり、本件においては、本件証明書が不動産登記法で要求されている代理権を証明する文書に当らないということであるから、右商法特例法の規定をもつて、本件の場合において委任状以外の如何なる証明書でも良いとする論拠とすることは相当でない。

よつて、控訴人らの請求を棄却した原判決は相当であり、本件控訴は理由がないから棄却することとし、民訴法三八四条、九五条、八九条、九三条一項を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 石井玄 高田政彦 礒尾正)

控訴人第一準備書面

第一不動産登記制度における登記申請代理権の位置づけと審査の消極性

一 原判決の結論を抽出すれば次のとおりとなる。即ち、

「不動産登記法三五条一項五号の書面として、任意代理の場合処分証書である委任状以外の文書が全く排除されていると解釈することは同条の文言からだけではできない」が、結局においては、本件のごとく、代理権授与者自身の作成した「代理権授与証明書」といえども「排除されている」と解すべきであり、「委任状でなければならない」と解釈すべきものである、

との結論となる。

その理由とするいくつかの説明についても、後段にて逐一反論してその非論理性非合理性を明確にするけれども、まず右結論それ自体の不合理性を、不動産登記制度の中における登記申請代理権の位置づけと審査の消極性に焦点を合わせて検討することにより、明らかにする。

二1 不動産登記法三五条一項五号は、「任意代理の場合には委任状」という形で明言せず、法定代理や法人の機関の場合を一切区別せず、単に「代理人に依りて登記を申請するときは其権限を証する書面」とのみ規定している。

2 我が不動産登記制度は、登記申請に当たつて登記官に形式的審査権しか与えず、「登記の申請が実体法上の権利関係と一致するか否かを審査する権限」(実質的審査権)を与えていないのである。(杉之原舜一著新版不動産登記法総論二二〇頁)(幾代通著不動産登記法新版-法律学全集-一五〇頁)

従つて法は、四九条列挙の却下事由しか認めず、この審査に当たつては「申請内容と一致した実質関係が存在することにつき積極的確信ないしそれに近い程度の心証にまで登記官が審査によつて到達することを要求するものでないことは明らかである。」(前掲幾代通著一四八頁以下)

「登記手続においては、むしろ、申請のあるところ、それに応ずる実体関係も有効に存在するであろうとの推定に立ち、かかる実体関係の存在がとくに疑わしいと思われる場合に限つて、申請を却下すべきものである」(前同)

そして、登記官の形式的審査の審査方法は書面審査とされており、「私文書の形式的真正についても、右と同じく、積極的心証を得るまでの審査をなす必要も権限もない=提出書面の実質的真正については、原則として審査権は及ばない」(前同一五〇頁)のである。

3 法は、登記官に右のとおり形式的審査権しか与えなかつた反面、登記内容の実体的真実性を担保するため、各種登記に当たり、種々の添付書類を要求し、登記済証、印鑑証明等詳細に規定しているのである。従つて当該登記の申請意思は、代理権限証書のみによつて判断されるのではなく、各種登記に応じて法が要求している添付書類のすべてによつて、その真実性を担保せんとしているものである。

4 登記申請代理人は行為能力者たることを要しないとされていることも一般である。(吉野衛著注釈不動産登記法総論新版下一二八頁・前掲幾代一〇六頁)

それは登記申請行為は単に登記官に登記事務の発動を促す行為に過ぎないのみならず、登記というのは実質上既に効力を生じた権利変動の公示を目的とする行為であつて、重要なのはその実体上の権利関係の真実性にあるからである。

従つて、登記申請なくしてなされた登記であつても現在の真実の権利関係を公示している場合には有効と解されている。(最判昭和四一・一・三)(前掲幾代四三三~四三九頁)(前掲吉野一二八頁-代理権消滅・当事者の死亡について)

5 次に登記申請行為の性質をみても、要するに法務局に対して登記の実行を求める公法上の行為であるとともに、実体法上の法律行為に基づく、履行行為の面を有し、この限りでは準法律行為であつて、登記申請代理人は、代理人というよりもむしろ使者に近い。(前掲幾代九〇頁)

6 なお、表示登記に関しては、法は登記官に実質的審査を与えており、表示登記の申請に当たつての代理権限証書についても「証明書で足る」とするには、「審査の消極性」は根拠にならない、との反論がでるかも知れない。しかし登記官が実質的審査権をもつ表示登記にあつては、登記申請代理人が誰であるか、当該登記申請行為の発端の行為者(代理人)の権限の存否というものは、権利の登記の場合に比し、より一層重要性をもたない、ということができる。

権利の登記という申請人にとつてより重要な登記にあつてさえ、法三五条の代理権限証書が証明書で充分と考えられる以上、職権主義の支配する表示登記においては、尚一層容易に「証明書」でもつて充分と考えるべきである。

7 以上を綜合して考察するに、法三五条が求める代理権限証書は、任意代理にあつては、当該登記申請の登記内容が明定され代理人の特定がなされている書面であつて、申請人の申請代理人に対する代理権授与の事実が示されていれば充分であるといわねばならない。その授与行為の日付や形式を明らかにする必要性を認める理由は全く存しない。前掲吉野著下一三一頁も、「代理権は、申請にかかる当該登記の申請行為について授与されていることを要し、かつそれをもつて足りる」と説かれている。そこに必要なのは、「当該登記申請の代理権が授与されている」という事実の証明であり、その原因関係たる法律行為(例えば委任契約)(授権の意思表示の態様)の証明をも要求しているものとは解しえない。

従つて、法四九条、三五条の解釈として、任意代理における代理権限証書が「委任状」でなければならないと解することは到底できないものと信ずる次第である。

第二原判決に対する反論

一 理由二の3について

1 「代理人によつて登記申請がなされた場合、登記官は申請書に添付して提出された代理権限を証する書面自体及び他の添付書類を審査して、当事者が代理人によつて登記する意思を有することの確認をしなければならない……」と判旨している。これは正にそのとおりである。本件証明書は「当該登記内容をすべて明示し、かつ授与者自身がその代理権を授与したことを自ら証明している」のである。しかもその押印は、登記義務者の印鑑証明を必要とする登記にあつてはその印鑑証明書をも添付し、その印によつて作成されている証明書なのである。他に実体法上の権利変動を示す原因証書や登記済証、住民票等も添付されているのである。本件証明書が右代理人による登記申請意思判断の資料になりえないとする解釈は、経験法則、条理に照らし、到底理解しえないものである。

2 原判決は、「一旦登記がなされると、代理権限の暇疵を理由として当該登記の無効を主張するためには……」といつた点を配慮している。そのようなことは、かかる文書が、虚偽文書か、偽造によるか、あるいは、代理権授与の取消があつた場合のことであり、書面に現われないしかも通常は予想しえない新たな事実を仮想しての議論であつて、かつ、それは証明書であろうと委任状であろうと問題は同一である。ましてや取消の場合取消されるまでは有効なのであつて、一旦代理権を授与した事実が当該書面によつて明らかに確認されるにも拘わらず、それが確認しえないなどといえる筋合のものではない。しかも前述のとおり、代理権欠缺の場合(死亡など)も実体的権利関係に符合する限り、登記の無効を主張しえないとするのが判例であり、多数説である。

また登記申請行為自体は使者に近い行為とされ、登記申請却下に当たつても明らかに代理権授与の事実を疑わしめる場合に限つてしか却下しえない点をも考慮すべきである。重要なのは実体法上の権利関係に合致した登記の実現であり、法はそのために多数の添付書類を要求し、それは多くは私文書なのである。

よつて代理権授与の事実のみについて特に「信用性の高い」「証拠価値の高い」ものでなければならないとする理論はどうしても成り立ちえないといわなければならない。本件の問題点は、「本件証明書が法三五条書面に該当しないとして却下しうるか」「否か」である。

申請人自身が作成した代理権授与の書類が「委任状」の形式をもらず、偶々「証明書」の形式であつたということだけで、その登記申請自体を却下される不利益は、特に(法がその印鑑証明すらも要求していない)登記権利者にとつてあまりにもひどすぎるものといわなければならない。(登記義務者が委任状で登記権利者が証明書であつた場合を想定せよ)

3 原判決は、この項で、戸籍謄本、登記簿謄本との比較を論じている。しかしこれはその前提たる「任意代理の場合」(理由の二1の終の部分)とした点と矛盾し、何ら理由になつていない。

敢えて言うならば、第一に戸籍謄本、登記簿謄本は、完全なる第三者による証明書である。本件証明書のごとく、代理権授与者本人の作成した証明書ではない。従つて特に官公庁による証明書に限られていると解する合理的根拠がある。しかしこれとても、会社代表取締役が解任されていたにも拘わらずその登記手続未了の間には真実を証明しえないのである。

これに比し、本人作成の文書はより信ぴよう性が高い、とさえいいうるのである。

第二に、法人の機関や法定代理の場合は本来申請人自身の「行為能力」を示すための書面である。法は、偶々特に行為能力を証する書面の添付を明定していないので、解釈としては法三五条一項五号の「代理人」に含めて解されているに過ぎない。法人の機関や法定代理人が司法書士に依頼する場合には別に法定代理人あるいは法人代表者から任意代理権授与が行なわれるのである。従つてその任意代理権を証する書面が何たるかを議論するに当たつて、右登記簿謄本や戸籍謄本をもちだして比較すること自体、ナンセンスというのほかはない。

第三に、登記簿謄本や戸籍謄本の場合、当該登記申請行為の内容が明示されているのか。否である。それでいて、本稿冒頭に掲げた「登記する意思を有することの確認」の資料たりうるか、である。例えば、法人の代表者が、直接登記申請を行ない、しかも原因証書が存せず申請書副本で行なう場合、「その申請書添付の代理権限証書には、登記申請内容は全く記載がなく、他に補充するものもない」のである。任意代理における代理権限証書の解釈に当たつて、登記簿謄本や戸籍謄本と比較することの不合理さは明らかである。

二 理由二の4について

1 委任状の場合には「処分証書であり、証明すべき法律行為(授権行為)が文書自体に包含されている」という。処分証書の概念がそのようなものであるとしても(注釈民事訴訟法5一六六頁)登記申請代理権授与の事実について、特に反証をあげて争うことの難易を考慮しなければならない理由がどこにあるのか。一回きりの登記申請行為にあつては、他に実体法上の権利関係を裏付けるに必要な各種の添付書類が存するのである。登記の公証性からくる重要性はその実体関係にあるのである。使者的存在である代理人が誰であるかは、とりたてて重要なものとはいえない。しかもその重要な実体関係においても法は登記官に実質的審査権を与えず、むしろ「審査の消極性」が登記制度上認められているほどなのである。(前掲幾代一四八頁)代理権の存在に余程疑いを抱かせる事情のない限り申請却下をすべきではない。何故代理権限証書に限つて処分証書でなければならないのか、合理的根拠に欠けるといわなければならない。

なお、委任状交付の実態を考慮するときには、委任状が果たして処分証書といえるのか、疑問なしとしない。

2 原判決は当該証明書類の真正にも言及している。登記申請書類の審査に当たり、その書類の実質的真正につき審査する権限が登記官には存しない。(前掲幾代一五〇頁)それが必要なときは、法自身が印鑑証明等の添付を要求しているのである。

原判決は、常に印鑑証明を要するがごとき判示をしているが、特に重要でないと法が判断した登記申請に当たつては、印鑑証明の添付を要求していないことも多いのである。(抵当権の抹消、移転などの登記義務者やほとんどすべての登記の登記権利者)しかも、本件の問題は、委任状であろうと証明書であろうと、法が印鑑証明の添付を要求しているときは等しく添付されている場合のことである。本件では真正の問題は全く根拠たりえないのである。原判決が、特に「真正」を問題とするのは、民事訴訟法的感覚でもつて本件論点をみていることの証左であり、全く不動産登記法の制度の実態とその精神の不理解からくるものといわなければならない。

三 理由二の5について

1 本件証明書は、「報告文書であつて委任状に比べて証拠価値に格段の差があるから、法三五条一項五号の書面に該当しない」という。

一般に、処分文書と報告文書とを比較すれば、訴訟法上、証明力に差のあることは否定しえない。(前掲注釈民事訴訟法)しかしながら、報告文書ならば証拠価値がないというわけではない。それどころか民事訴訟の実態においても圧倒的多数の報告文書が裁判の証拠書類として活躍し、裁判官の心証形成の資料となつているのである。原判決は、いたずらに報告文書のゆえをもつて軽率に法三五条書面として排斥したことは、由々しき問題である。

前掲注釈民事訴訟法によれば、処分文書でないものはすべて報告文書とされている。従つて、等しく報告文書の範ちゆうに入れられる文書であつても、第三者的立場での報告文書もあれば、法律行為者自身が自らなした法律行為の事実を証明する文書もある。彼比、自ら証明力に差は生じよう。そのような検討も、また不動産登記制度上登記申請代理人の位置づけの検討もすることなく、安易に報告文書なることの一事をもつて証明力〇とすることは(本件では三五条の書面の添付がないとして却下されている)、不動産登記法の解釈上、暴論の部類に属する。

書面のもつ社会的重要性は処分文書であろうと報告文書であろうと、訴訟法上その証明力に若干の差を認められることがあつても、その差異によつて、一方は〇%で他方が一〇〇%という事例は存しない。

殊に当該登記によつて利益を受ける登記権利者にとつて、その登記申請代理権を証する書面が報告文書なるが故に却下された場合のその不利益は、極めて重大である。(登記権利者のみが証明書を提出し、他は委任状であつた場合を考えよ)

また刑法においても、「権利義務または事実証明に関する文書」は等しく一五九条の私文書偽造の対象とされているのである。その社会的重要性において、処分文書と報告文書との間に何らの差異を設けていないのである。

2 原判決は、本件証明書は、代理権授与についての観念の通知に過ぎないから、登記官において代理権限発生の原因事実を確認しうる資料がない、という。

不動産登記上、表示登記であろうと権利の登記であろうと、任意代理の場合の代理権限証書の添付を要求するのは、当該代理人が当該登記申請の代理権を有していることを、書面上明らかにさせ、それによつて書面審査を可能ならしめんとすることにある。登記申請代理の性質上、申請人と代理人とのつながり、即ち代理人が申請人の意思と無関係に登記申請行為に及んでいるのではなく、申請人の意思に基づいて代理行為をなしている、との事実が明確になれば、それで必要にして充分といわなければならない。

授権行為自体が誰に対し何時いかなる方式でなされたか、を逐一立証する必要は、法三五条および登記制度の全趣旨を考慮しても、到底見出しうるものではない。

現に、個人の権利関係に重大な影響を及ぼす可能性のある、市町村における個人の印鑑証明の交付申請に当たつても、「代理権授与通知書」をもつて足るところが多数である。

原判決は、不動産登記法の解釈、という視点を忘れ、いたずらに民事訴訟法上の権利発生原因事実の立証の観念にとらわれた発想であつて、容認しえない。

殊に原判決の考え方によれば、委任状の場合にはそれら代理権発生原因事実の確認資料がすべて記載されていると判示されているようにみえるが、果たしてそうであろうか。委任状の日付は委任状「作成日付」に過ぎず、真実の代理権授与の意思表示がその日付になされたとは限られない。なぜなら代理権授与の意思表示は決して要式行為ではなく、単なる意思表示のみによつて行なわれるものであるからである。代理権授与の意思表示は委任契約締結に伴なつて行なわれ、その便宜上、処分文書的形式をとつた委任状なるものが受任者に対して作成、交付されることが多い、というに過ぎない。むしろ一般社会では、委任状作成日と代理権授与日が異なることの方が多いであろう。

また同じ処分文書といつても、設権証券たる手形、小切手などとは正に「格段の相異」があり、これらと同じ意味で処分文書と考え、その原因事実を判断することは一層誤りを深くするものといえよう。

更に、原判文から演えきすると、授権の日時内容(発生原因事実)が明確であれば「証明書」でもよい、ということになろう。それでは原判決自身報告文書でもよいという結論となり論理矛盾である。

3 次に、控訴人らが「証明書発行日が授権の日である」と主張したのは、本件証明書には「本日より向こう三ケ月間」に限つて有効とする旨記載されているからである。原審においては提出した(訴訟用の)「代理権授与証明書」には有効期間の定めは存しない。従つてこれを比較論評すること自体不合理である。

もつとも原判決が、証明書の有効期間の定めと授権日が必ずしも一致するものではない、とする点はそのとおりかも知れない。(ただし前述のとおり委任状の場合にも同じことがいえる)しかしその考え方は、登記申請時点での代理権の存在を立証しうるにたる書面であればよいとするのでなく、訴訟上の認定方法のごとく、(登記申請時点はともかく)授権行為時点の事実(権利発生事実)の立証を示す書面でなければならない、という発想である。

そうとすれば、証明書によつて、それらすべてが明記されているならば本条所定の書面だといわなければならない。それでは先に指摘したごとく、代理権の取消その他暇疵を考慮し、「報告文書ではだめだ」とする原判決自身の判断と矛盾するといわなければならない。

要するに法三五条の書面は、その授権行為自体が、いつなされようと、当該登記申請に当たり、当該代理人が当該登記申請の代理権を有していることが明確に判断されうる資料であれば、必要にして充分といわなければならないのである。要するに、「不動産登記法上、右授権行為自体の日付、方式などが明確になされなければならない」とする原判決の考え方自体が誤つているといわなければならない。

4 ここで、訴訟代理と登記申請代理との比較について触れておく。原判決は民事訴訟法八〇条の訴訟代理権を証する書面として本件訴状添付の証明書がこれに該当することをいみじくも認めている。

ところで、訴訟法も不動産登記法も法文上はいずれも「代理権限を」「証する書面」という表現である。そして一回性の登記申請行為に対して、訴訟行為は継続性をもち、また登記申請にあつては登記申請代理権を推定させる登記済証の添付、印鑑証明書の添付、およびその他多数の添付書類が求められるのに対し、訴訟代理権授与証明書については一片の事実証明文書だけであつて他にこれを補充する資料もない。また使者の行為に近いとさえいわれる登記申請代理に比し、訴訟代理は幅広い権限を包含している。従つて法が求める代理権限証書は訴訟代理の場合の方が同等ないしより詳細確実なものを要求していると考えるのが自然である。しかるに、原判決はいみじくも訴訟代理において「証明書」で足る、としたのである。勿論解釈としてその重要性において軽いと思われる登記申請代理の立証書面としても当然「証明書」で足る、と考えなければならない。

勿論、裁判所は、その書面が私文書なるときは当該吏員の認証を受けることを命ずることができる。しかしこれは、その書面の真正なる成立の問題であつて、証明書であつても書面の真正がみとめられればそれでよい、との解釈であり、登記申請に当たつて印鑑証明書を添付し、その印による証明書が添付されている場合と異ならない。同様な法文上の表現であるにも拘わらず、登記法に限つて委任状という書面に限定されるとする根拠とはなりえない。

職権調査事項という点についてみても、登記申請に当たつては他に登記申請意思を推認させる多数の資料が添付されるのに対し、訴訟では補充すべき何もない。故にこそ必要に応じ、資料の提出を求めうる、とされているに過ぎない。登記申請に限り、委任状に限るとする根拠たりえない、といわざるをえない。

四 理由二の6について

原判決は、任意代理の場合代理権授与の証明が公正証書によつてなされているような場合は格別、という。

この公正証書は要するに第三者作成の完全なる報告文書である。授与者本人が作成した文書ではない。ここでも原判決は、「報告文書」という用語に迷わされている、といわなければならない。

第三まとめ

一 本件証明書は、登記申請人が当該管轄法務局宛に作成発行して当該代理人に交付した書面であり、代理人を特定し、当該登記申請の不動産の表示、抵当権設定の登記内容等すべて網羅し、そのうえその証明書の有効期間は作成日より向こう三ケ月間と明示したうえ、その登記申請代理権授与の事実を証明する旨記載されている書面である。委任状との差は、「その表題」と、「委任する」か「代理権を授与したことを証明する」かの差のみであつて、その余の記載は全く同一といつてよい。

法が登記官に形式的審査権のみを与え、各種の登記申請について多数の添付書類を要求していることからすると、登記申請代理行為は単なる使者に近い行為であり、当該登記申請代理人が当該申請時にその代理権を有していることを伺い知れるに充分なる書面であれば足り、殊更に代理権授与行為それ自体の日付や詳細な方式までも明示されなければならないとすることは到底できない、と考える。ましてや登記申請却下に当たつては書面審査のうえ明らかに疑いを抱かざるをえない場合(例えば印鑑証明の印と当該代理権限証書の印が異なる場合)その他明らかな書類の不備のある場合に限つて却下しうるに過ぎない、と解される(幾代著審査の消極性)不動産登記制度にあつて、本件証明書が存在するにも拘わらず、「代理権限証書の添付がない」として全く証拠価値を〇と判断した被控訴人の行為は、不動産登記法の解釈を誤ったものであり、これを是認した原判決は違法であるといわなければならない。

控訴人第四準備書面

第一不動産登記申請書に添付される委任状の実態について

本件の争点は、「代理権限授与証明書」が、不動産登記法第三五条第一項第五号にいう「代理権限を証する書面」に該当するかどうかである。控訴人らは、「代理権限授与証明書」もここにいう「代理権限を証する書面」に該当すると主張し、被控訴人は、ここにいう「代理権限を証する書面」とは、証明力の高い「委任状」にかぎると主張する。そこで、現在の不動産登記の実務において使用されている「委任状」の実態について説明し、「代理権限授与証明書」との相違点を明らかにして、被控訴人の主張の非論理性を明確にする。

一 現在の不動産登記申請書に使用されている委任状のなかで、最も多く使用されている委任状は、末尾添付「別紙1」のとおりである。

不動産登記の申請書には、登記原因を証する書面を添付しなければならないのが原則であるが(不動産登記法第三五条第一項第三号)、この登記原因を証する書面が登記申請書に添付されている場合の委任状に記載する委任事項は、登記原因証書の記載を引用して、別紙1のように省略してもよいとされている(昭和三九年八月二四日民事甲第二八六四号民事局長通達)。

これは、登記原因を証する書面が添付されているときは、当事者の登記申請の意思が明確であるから、委任事項を委任状に詳細に記載しなくてもよいとされているのである。

つぎに、「登記原因を証する書面」が存在しないか、または、存在してもその書面が登記原因を証する書面の適格性を有しない場合の委任状に記載する委任事項は、「別紙2」のとおりである。

登記原因を証する書面の添付がないときは、登記の申請事項および登記申請の意思を明確にするため、授権の範囲を明確にしなければならないとされている。

銀行などの金融機関が抵当権の設定登記申請の委任状として使用し、その委任状に記載する委任事項は、「別紙3」のとおりである。

この場合の委任状は、不動産の記載すら必要でないとされている。

商社などが、根抵当権の変更登記申請などに使用されている委任状に記載する委任事項は、「別紙4」のとおりである。

この場合の委任状も別紙3の場合とほぼ同一である。

最も簡単に委任事項のみを記載した委任状は、「別紙5」のとおりである。

二 別紙1ないし5に共通する点は、表題の「委任状」という文言および「私は何某を代理人と定め、つぎの権限を委任します。」という文言と印紙を貼用している点である。

ただし、印紙を貼用しない委任状であつても代理権限を証する書面として不適格でないことはいうまでもない。

このようにみると、「権限を委任する」という文言と「権限を授与したことを証明する」という文言の相違と印紙の貼用をしているかどうかの相違ということになる。してみれば、この両者を比較考量すると授権した事項についての証明に高低は全くないのである。

また、委任事項の記載について検討してみると、不動産登記の制度の上からは、登記の代理申請の代理権の存否ならびにその法律行為(準)の存否の認定は、単に代理権限を証する書面のみに限定されているものでは決してない。登記申請書に添付される登記原因証書、登記済証、印鑑証明書、許可書、同意書、承諾書などのすべての書面から、当事者の登記申請の意思ならびに代理人の代理権限の存否が推認され、補強されるのである。たとえば、登記原因証書の内容と委任状の記載事項とが相違するとき、もしくは、印鑑証明書の印影と委任状に押印した印影とが相違すると判断したときは、登記官は必ず、委任状に付せんを付して、代理人に補正させるか、あるいは、登記申請の取り下げまたは却下をしているのである。したがつて、被控訴人の主張は、不動産登記制度の不理解か、または、印紙税法にとらわれた国民不在の理論といわなければならない。

第二代理権限証書の提出と代理人出頭主義との関係について

不動産登記の申請は、登記権利者および登記義務者または代理人が登記所に出頭してしなければならない(不動産登記法第二六条第一項)。これは、権利に関する登記の申請は、郵便や使者によつてはすることができないことを意味している。そして、この当事者出頭主義がとられた論拠として、通常は、1登記申請の真実性の担保、2受付順位の明確化、3登記申請の補正の容易化にあるといわれている。その論拠に対する批判はさておき、ここに申請代理人の出頭が要求されているのはなぜなのかである。申請代理人を出頭させることによつて、登記申請の真実性を担保しようとするのであろう。しかし、登記の実務の実態はどうであろうか。申請代理人(またはその補助者)が出頭して、登記申請書を受付窓口に自由に差し置くかまたは備付けの受箱に投入する方法によつて提出しているのが実情である。これをして、申請代理人の出頭があつたとしていることは問題であろう。もともと、不動産登記法が、申請代理人の出頭を要求している理由は、登記申請をする者が真実の代理人かどうかを形式的に登記官をして審査、判定させ、さらに、代理権限証書という書面で代理権限の授与の有無を認定させるという制度をとつているのである。被控訴人は、登記官に提出された書類の形式審査しか与えられていないから、証明力が高いものでなければならないというが、登記の実務の現状にとらわれて、不動産登記制度の根本理念を忘失した空論といえよう。

被控訴人準備書面

控訴人らは、昭和五八年一月一八日付け第一準備書面をもつて、原判決を種々論難するが、控訴人らの主張は、いずれも原判決を曲解し、あるいは誤つた法解釈に基づいた立論であり、到底採用できるものではない。以下にその理由を明らかにする。

第一控訴人ら第一準備書面「第一、不動産登記制度における登記申請代理権の位置づけと審査の消極性」について

控訴人らは、右準備書面第一、二において、不動産登記法三五条一項五号の条文、不動産登記制度における形式的審査権を説明する諸学説、登記申請行為の性質等を羅列し、以上を総合して考察すると、法三五条が求める代理権限証書は任意代理にあつては、当該登記申請の登記内容が明定され代理人の特定がなされている書面であつて、申請人の申請代理人に対する代理権授与の事実が示されていれば充分であつて、その授与行為の日付や形式を明らかにする必要性を認める理由は全く存しないと結論づけているが、控訴人らが羅列している事柄によつて、右結論すなわち法三五条一項五号が定める代理権限を証する書面として本件証明書でよいとする結論が論理必然的に導き出されるものではない。

不動産登記制度における登記官の形式的審査権とは、審査の方法という観点から把えられているものであり、審査の対象たる事項という観点からすれば、形式的ないし手続法的事項のみならず、実質的ないし実体法上の事項をも審査の対象としていることはいうまでもないところであり(幾代通著、不動産登記法新版-法律学全集-一四八ページ、控訴人らにはこの点からの考察が欠けている。)、かかる意味において、原判決は、代理人によつて登記申請がなされた場合に登記官が当事者が代理人によつて登記する意思を有することの確認ひいては代理権限授与の意思表示の存否を問題にしているのである(原判決八丁裏ないし九丁裏)。

そして、登記官が形式的審査権しか有していないことが、控訴人ら主張のように代理権限を証する書面として本件証明書で足りることを裏付けるものではなく、かえつて登記官が実質的ないし実体法上の事項をも審査の対象にしていながら、その審査の方法を形式的審査に留めているという不動産登記制度の趣旨からして、登記申請の添付書類、その一つである代理権限を証する書面には十分証拠価値の高いものが要求されていると考えるべきであり、このことが原判決の判示する趣旨でもあると考えられる。

登記申請代理人が行為能力者たることを要しないこと、代理人というよりもむしろ使者に近いとの控訴人らの指摘が、本件の解決に何ら役に立つものではないことはいうまでもない。

第二控訴人ら第一準備書面「第二 原判決に対する反論」について

一 理由二の3について

1 控訴人らは、右準備書面一、2において、原判決が「当該登記の無効を主張するためには……」と判示している点を捉えて、通常予想しえない新たな事実を仮想しての議論であると非難しているが、これは原判決を正当に理解しないものである。原判決は、当該登記が無効になる場合のことを議論しているのではなく、代理人によつて登記申請がなされた場合、登記官は、当事者が代理人によつて登記する意思を有することの確認をしなければならないこと、その際登記官が審査すべき点は代理権限授与の意思表示の存否であることを明らかにする意味で、そのことが明確に争点となつて出現する登記の無効の場合を引用しているにすぎない。

そして、登記官の審査の対象が代理権限授与の意思表示の存否ゆえに、法三五条一項五号に定める代理権限を証する書面は、右の確認に資する内容を包含し、しかも書面審査(形式的審査)の建前からして証拠価値の高いものでなければならないとする判示は、前記第一において考察したとおり不動産登記制度の趣旨に添つた正当な指摘である。

2 さらに、控訴人らは、同準備書面一、3において、原判決が戸籍謄本及び登記簿謄本について考察していることをもつて、その前提たる「任意代理の場合」(理由二1の終の部分)とした点と矛盾し、何ら理由になつていないと主張するが、これは控訴人らによる原判決の曲解としかいいようがないし、原判決はここで控訴人らが主張するように戸籍謄本、登記簿謄本と本件証明書との比較を論じているわけでもない。しかも控訴人らは登記簿謄本や戸籍謄本の場合、当該登記申請行為の内容が明示されていないと指摘するが、法人の機関にあつては、代表権限について原則として何らの制限がなく(民法五三条、商法七八条一項等参照)、法定代理にあつては、その代理権の範囲については法で明定されているところであつて(民法二八条、八二四条以下、八五九条以下等参照)、登記簿謄本や戸籍謄本に当該申請行為の内容が明示されていないのは当然のことである。

二 理由二の4について

1 控訴人らは、同準備書面二、1において、原判決が「反証をあげて争うことが容易でない」と判示するところを捉えて、登記申請代理権授与の事実について、特に反証をあげて争うことの難易を考慮しなければならない理由がどこにあるのかと非難するが、原判決は前記一、1にも指摘した代理権限を証する書面は証拠価値の高いものでなければならないという観点から、処分証書である委任状によつて、反証をあげて争うことが容易でないほどに法律行為のなされたことが証明されるとして、委任状の証拠価値が高いことの例証として反証の困難性を判示しているものである。

控訴人らは、使者的存在である代理人が誰であるかは、とりたてて重要なものとはいえないと主張し、このことを証拠価値の低い本件証明書をもつて代理権限を証する書面として足りるとする控訴人らの主張の一つの論拠としているものと考えられるが、到底右のような見解に賛同できるものではない。

2 さらに控訴人らは、同準備書面二、2において、原判決が委任状の真正な成立に言及していることに対し、登記官には実質的真正につき審査する権限が存しないと反論しているが、添付書類の真正な成立については、実質的真正の問題ではなく、形式的真正の問題であり、一応登記官の審査の範囲内にあると考えられている。そして原判決の趣旨は、ここでも委任状の真正な成立が認められればそれだけで法律行為の存在すなわち当該登記の申請行為の授権の存在が認められるから、委任状は極めて証拠価値が高い文書であることを説明するために形式的真正について触れているのである。

三 理由二の5について

1 控訴人らは、同準備書面三、1において、原判決が本件証明書を報告文書なることの一事をもつて証明力を零としたことは、不動産登記法の解釈上暴論であると非難する。しかし、原判決は、委任状と比較して本件証明書が証明すべき法律行為の存否の判断につき証拠価値に格段の差があると判示しているのであり、本件証明書が報告文書なるがゆえに証明力を零としたわけではない。また、本件証明書が法三五条一項五号に定める代理権限を証する書面に当たらないとしたことが、本件証明書の証明力が零であると認定したことになるわけではない。右の代理権限を証する書面には、証拠価値の高い文書がこれに該当するが、証拠価値の低い文書は該当しないと判断したにすぎないからである。控訴人らが、報告文書が裁判の証拠書類として活躍し、裁判官の心証形成の資料となつていることを主張して原判決を非難しているのも当たらない。民事訴訟においては、証拠として提出し得る文書に制限はなく、裁判官は報告文書に加えて他の文書、証人の証言、原告あるいは被告各本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合判断して心証形成しているのであり、このような裁判官と登記官の判断の場の違いを無視して裁判における報告文書の役割りを強調しても意味がない。

2 次に控訴人らは、同準備書面三、2において、原判決が本件証明書は、代理権授与についての観念の通知にすぎないから、登記官において代理権限発生の原因事実を確認しうる資料がないとして、代理権限を証する書面と認めなかつたのは、不動産登記法の解釈という視点を忘れ、いたずらに民事訴訟法上の権利発生原因事実の立証の観念にとらわれた発想であつて、容認しえないとする。原判決の判示は、本件証明書は、文書の内容をなす作成者の表現された思想を資料として法律行為の存在を証明しようとする報告文書であるから、真正に成立したと認められても、作成者の表現する思想の存在が認められるにすぎず、証明しようとする法律行為の存在とは観念上別個なものであるから、処分証書である委任状に比べて証拠価値に格段の差があるということ、さらに本件証明書はその原因をなす授権の意思表示が何時誰に対していかなる方式でなされたかの事実について何ら触れるところがないから、本件証明書の記載内容からは、登記官において代理権限発生の原因事実を確認し得る資料がないということの二点であり、必ずしも控訴人らにおいて原判決の判示を正しく理解するものではない。ところで、登記官において代理人による登記申請があつた場合、窮極的に確認すべきはその時点における代理権の有無であるが、現在の権利の存否を直接認識し証明する方法はなく、過去における発生及びその後現在に至るまでの間における不消滅という判断の複合によつて現在の権利関係を認識するのであり、過去における権利の発生については、その発生の要件となる事実によつてこれを知るのである。

右に指摘した現在における権利関係の認識方法という点については、不動産登記法上の登記官と民事訴訟法上の裁判官において違いが存するものではなく、原判決は、かかる観点に立つて登記官が確認すべき点は、代理権限授与の意思表示の存否であり、授権の意思表示が何時誰に対していかなる方式でなされたかの事実を問題にしているのであつて、これをいたずらに民事訴訟法上の権利発生原因事実の立証の観念にとらわれた発想とする控訴人らの主張は、権利の認識に関する基本的な考え方を理解しないものといわなければならない。

3 控訴人らは、同様に、委任状についての原判決の判示について批判するが、実際の取引上においては、委任状は処分証書であり、委任状作成の日時に代理権が授与されたものと考えられていることは経験上明らかである。

4 さらに、控訴人らは、同準備書面三、3において原判決が授権の意思表示の日時等を問題にしたのに対し、証明書に右日時等の記載があれば、法三五条一項五号の代理権限を証する書面だといわなければならないとし、そうすると「報告文書ではだめだ」とする原判決自身の判断と矛盾するといわなければならないと主張する。控訴人らのこの主張は、控訴人らがまさに前記三、2に指摘した原判決が判示している二点について正しく理解していないことを物語るものであり、原判決は、証明書に授権の意思表示の日時等がすべて記載されていても、法三五条一項五号の代理権限を証する書面に当たると考えているわけではない。また、原判決は、報告文書はすべて右代理権限を証する書面に当たらないと考えているわけでもない。

5 控訴人らは、同準備書面三、4において、原判決が民事訴訟法八〇条の訴訟代理権を証する書面として証明書がこれに該当すると認めていることを主張するが、訴訟代理権の存在については、職権調査事項に属し、形式的真正のみならず、実質的真正についてまで及んで、訴訟代理権の真偽につき判断しうる民事訴訟の場合と登記申請の場合を同列に論じることができない。

四 理由二の6について

控訴人らは、原判決が代理権授与の証明が公正証書によつてなされている場合を除外していることを捉えて、公正証書も報告文書であると非難するが、前記三、4にも指摘したとおり、原判決は法三五条一項五号に定める代理権限を証する書面に該当するか否かを、処分証書か報告文書かという基準によつて分けているのではなく、授権行為の存在を証明するにつき十分な証拠価値を有している書面か否かにより判断しているのであつて、本件証明書とは区別して、代理権限授与の証明を公正証書によつている場合を除外しているのは、何ら問題とすべきことではない。

以上のとおり、控訴人らの主張は、全く原判決への反論に値するものではなく、原判決は正当として、すみやかに控訴人らの控訴は棄却されるべきである。

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